メンタルをどうにかする日記

都内私立大学の三年生です。教員を目指してます。嘘です。正確に言うと教員を"目指してました"。突然教職を諦めて旅に生きることにしてしまったブログ(そんなことできるのか!?)

【教職やめちゃった】1日ニート体験で分かった"私が求めていたもの"

1日では分かってないわ、1日半ですね、

というよりもう大学(教職以外の科目)に行かなきゃいけないのに、お風呂に入ることすら面倒で、
やっとのことお風呂に入ったところ

突然心に「本当に大学に行けなくなった理由」が浮かんできました。

私が求めていたもの
私が探していたもの
私に足りなかったもの

それは、心の余裕でも時間の余裕でもなく(それもあると思うけど)

「新鮮なコミュニケーション」であると気付きました。

元気な人だからと決め付けられ
お前は大丈夫だろと割り切られる毎日。

決め付けの世界から、「勉強はつまらない」という先入観から生徒たちを解放したくて目指したはずの教職の授業で
まさかの自分という存在すら決め付けられているという悲しみ、虚しさ、矛盾。
この矛盾に心が耐えられなかったようです。

「新鮮なコミュニケーション」・・・「丁寧なコミュニケーション」・・・
相手がどんな人であれ、どんな見た目であれ、中身はどんな人かなんて、
その人自身にも分からないだろうし、そんなの他人の私たちには分かるわけがない。

どんなに明るい人でも
影の部分があるかもしれないし
イメージとは違うことを考えているかもしれないし
毎日元気とは限らないかもしれない。


明日その人がどんな振る舞いをするかなんて誰にも分からないのが普通だと思います。
つまり「毎日が初対面」である必要があると思うんです。

どうしても、会うことに慣れてくると
「お前はこういう感じだろ」と決め付けることが起こってしまいがちだと思います。

でも、そうではなくて、「相手が初対面ならどんな配慮をするか」ということを日々考えてコミュニケーションを取るべきだと思うんです。


一緒にいることが"当たり前"で
こういう毎日が続くことが"当たり前"で
脳が固定化されてしまった毎日、
そしてそんな人に囲まれてしまった毎日・・・。
「初対面のコミュニケーション」「新鮮なコミュニケーション」を忘れた人々になじんでいく自分が嫌で
「丁寧なコミュニケーション」を忘れどんどんと無礼になっていく自分が嫌で

そして、ついに「自分に対するコミュニケーションすら新鮮でなくなった」=「毎日を丁寧に暮らせなくなった」「食事や睡眠すらおろそかにするようになった」自分に
心が悲鳴をあげたんだと思いました。

1日ニート生活(もうベッドから出れない😂😂)をして、分かったことは
私は毎日を新鮮に、毎日を大切にして過ごせる人でありたいということでした。

そういえば、旅行をすると、その時間にはものすごい価値がついているので(一種のスター状態)、
行動のひとつひとつを、大切にしますよね。

私が旅をこよなく愛する理由まで、分かった気がします。

朝起きた自分が、
まるで初対面の人かのように
丁寧に自分をもてなし

会った人全員に対し
初めて会った人かのように
配慮し丁寧に接して

自分も初対面の人かのように扱われたい


この心の本当の本当の願いに、私は1日ニート生活を通して、やっと気が付くことができました。
よく考えたら親にも丁寧に扱われてないや。

私は、人として、自分が自分であること(明るいキャラクターの私だけでなく、等身大の私も)を尊重してもらいたいだけだったみたいですね。